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大奥の女性たちの「給与」事情

「将軍」と「大奥」の生活⑰

■年間で見るとと膨大な額に

 

 では、大奥全体ではどのくらいの金額が必要だったのだろうか。正確な記録はないが、一説によると安政年間(1854〜1860)ごろで1年間約20万両だったという。

 

 経費を統括しているのは勘定所で、その長官が勘定奉行である。

 

 日用必需品を例にすると、味噌や醤油、薪、炭などは御用商人から買い、魚、野菜などの食料品は後納屋(おなや)から買う。それらの代金は業者が月末に納代(おさめだい)を御広敷の御膳所御台所頭に請求。御台所頭はこれらをチェックし、捺印したあと、御広敷御用人に送る。

 

 この請求書は御用人と御広敷役人が捺印し、勘定所へまわされ、奉行が印を捺し、勝手係の老中へ届けるのだ。これを勘定所へ戻せば支払いが実行されるという仕組みになっていた。ものによっては現品を渡すということが多い。

 

 1年間の経費は20万両と紹介したが、和宮が14代将軍家茂(いえもち)のもとに降嫁した文久2年(1862)後は、費用がかさみ、5万両も超過したほどだった。奥女中にかかる費用は大きく思えないが、大奥の経費として見れば相当な額だった。

 

監修・文/安藤優一郎

『歴史人』202110月号「徳川将軍15代と大奥」より)

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